私は冬、だいたい常に気持ちが落ちている。
割と年がら年中、1日1回は「死にたいなあ」と思うのだけれど、冬は基本的に起きている間中、心根で「死にたいなあ」と思っている。
根本的に、寒いのが私には向いてないのだと思う。
というか、高校を卒業するくらいまで、
一部の陽キャ以外は皆頻繁に死にたくなってる気持ちをひた隠しながら一生懸命生きているのだと思っていた。
どうやらそうでもないらしいと、大学4年間でじわじわ気づいて、
社会人になってから「死にたい」とずっと思っているのは普通ではないと認めた。
もう春なのに、鬱々とした気持ちから抜け出せない私自身に、また鬱々とした気分になる。
気持ちを晴らすためにやっているスポーツで調子が悪くて余計病み、美味しいものを食べて幸せになろうと思って食べて、肥えた腹を見て、病む。
それならアルコールに走ろうって飲みまくるけど、私はお酒に強いので相当飲んでも酔えやしない。ただ膨れた腹を見て、病む。
その中でも、私は鬱でないという確信だけがある。
中学から大学の間に、病気になってしまった友人を複数見ている。彼らとは違うんだよな〜と思っている。
落ち込むことに病気の名前がつく彼らのことをたまに羨ましく思う。
ただ、私のこの鬱々に名前が付いたところで私には何の得もないことを悟っている。
「死にたい」と願った5秒後に、「痛いの嫌だし」「怖いの嫌だし」「うまく死ねなかったら後々めっちゃ恥ずかしいし」が襲ってくるので、私はたぶん本気で死にたいと思っていない。
いつか「死にたい」が無くなる日は来るのだろうか。死ぬとき私は「死にたくない」と思うのだろうか。